ABOUT

DJ-namijin

俺達いつでも
ENJOY PUNK ROCK!

ヘッドロックオーガナイザー
DJ-namijin

MESSAGE(メッセージ)

色々なスタイルのパンクロックを、みんなで一緒に楽しみたい。

そんな気持ちを込めて、2000年11月にスタートさせた、ヘッドロックナイト。

当初からいくつかのビジョンがありました。

メインテーマは「ENJOY PUNK ROCK」ヘッドロックをレーベル化して

自分がいいと思うバンドを、世の中に紹介していきたい。

ヘッドロックならではの「夢のコンピアルバム」を実現させたい。

いつの日か、全国各地をサーキットしてまわりたい。

いつの日か、WARPED TOUR のような、夢のパンクフェスを開催したい。

自分にしかできない「パンクロックの架け橋」であり続けたい。

クラブチッタ進出。

沖縄開催。

東名阪ツアー。

ヘッドロックのレーベル化。

コンピアルバムの実現。

数々の「夢」や「まさか」が実現してきました。

ヘッドロックのスタート時には、まさか自分が数年後、DJやバンドマンとして再び人前に立つなんて、夢にも思いませんでした。

そればかりか…

2009年の秋には、10年来の夢だった自分のお店「ヘッドロックカフェ」が実現しました。

人生常に、前進あるのみ。

夢に向かってチャレンジし続けたい。

開催目標○○回!とか、何万人集めたいとか、

そういった目標は特にありません。

僕はただ、いつまでも続けたい。

ヘッドロックをきっかけに、出会いが出会いを呼んでくれたら嬉しいです。

みんな、いくつになっても、好きなものから無理矢理卒業しないで下さい。

「人目」なんて気にせずね。

好きな事を諦めずに続けるのも、新しい事に勇気を持ってチャレンジするのも、実年齢なんて関係ねえ!(笑)

泣いても笑っても時は過ぎてゆく。

だったら笑って過ごそうぜ。

たった一度の人生、ポジティブに悔いなく楽しんでいきましょう。

俺達いつでもENJOY PUNK ROCK!

ヘッドロックオーガナイザー
DJ-namijin

PROFILE(プロフィール)

■ 1963年3月30日生まれのAB型
■ 暴動天国のリードボーカル
■ 座右の銘「前進あるのみ」
■ PUNK ROCK DJ/番組パーソナリティー
■ NUMBER.42 (ex.NUM42) のベースボーカル
■ loco hermanos のベーシスト
■ ヘッドロックカフェのオーナー&マスター
■ ヘッドロックナイトのイベントオーガナイザー
■ ヘッドロックレコーズのレーベルプロデューサー

1963(誕生/少年時代の夢)

東京都世田谷区に生まれ、神奈川県横浜市にて育つ。
少年時代の夢は「動物園の飼育係」と「タイガーマスク」。

1978(パンクロックに覚醒)

ニューヨークで生まれ、ロンドンで爆発的に開花した世界的なパンクロックムーブメントがロック少年ナミジンの脳天を直撃。小難しいギターソロやギターリフの一切ないラモーンズの潔さと、ザ・ストラングラーズのベーシスト、ジャンジャックバーネルの斬新かつ攻撃的なベースプレイにそれまでのロック観並びに人生観が大きく変わるほどの衝撃を受け、速攻でベース購入。4年間続けたクラブ活動をきっぱり辞め、ベースに打ち込みはじめる。(余談だが、ジャンジャックバーネルの影響で三島由紀夫の著書を買いあさるも、あまりにも難解で敢えなく挫折)

1979(日本語パンクとの出会い)

高校の同級生、牧野くんに「アナーキーっていう日本語のパンクバンドがいるんだよ。日本語でクラッシュのカバーとかやってるんだぜ」と誘われ、ライブに通いまくる。翻訳の必要もなく、リアリティのあるメッセージに溢れた日本語歌詞にはまりまくり、「アナーキーのメンバーが国鉄の制服ならば、俺達は特攻服だ。色も似てるし」と、訳のわからない理由でライブに特攻服姿で通い始め、その後アナーキーのライブ会場で一世風靡した特攻服ムーブメントのパイオニアとなり、渋谷屋根裏にて正統派皮ジャン系のパンクス達と、もめたり仲良くなったりする。

1981(バンド結成)

ライブに通っているうちに仲良くなったアナーキーのギタリスト・マリの「並木、おまえもバンド組めよ。そしたら俺達の前座でやればいいじゃん」という言葉を本気で信じ、高校卒業後、専門学校で知り合った仲間とロックバンド「LAY DOWN」結成。

1982(新宿ロフトにて初ステージ)

「LAY DOWN」、約束通りアナーキーの前座として新宿ロフトで初ステージを踏む。開始2曲目で客がステージ上になだれ込み、いきなりライブ中断するが、自分自身アナーキーのファンとして、しばしそういった行動に出ていたので臆することなくライブを続行。

1983(バンド活動)

「LAY DOWN」解散。後の「THE PRIVATES」の母体となるパンクバンド「THE SECT」に加入。目黒鹿鳴館や新宿ロフトなどを拠点に数回のライブを行うも、あまりにもローテクなパンク野郎だったため、当時バンドが向かいつつあった 「PUNKからBACK TO ROOTSへ」という流れについていけず「THE SECT」脱退。

1986(マネジャーへ転身)

時にはボーカリスト、時にはベーシストとして数々のバンド活動を続けるがどうにもこうにもパッとせず、さてどうしたものかと思っていたところ、ちょうどバンドブーム到来前夜で「THE PRIVATES」もメジャーから声がかかり始めたタイミングで、メンバーから意外にマメな性格を買われマネジャー就任を要請され「じゃあ試しにやってみますか」と軽いノリで引き受け、音楽業界生活への第一歩を踏み出す。

1987(メジャーの世界へ)

「THE PRIVATES」と共にアミューズ所属となり “闘うマネジャー” 生活が本格的にスタート。メンバーに誘われるがままに、なんとなくなりゆきで入ってしまった音楽業界だが、彼等のマネジメント活動を通じ、全国ホールツアーやイベント出演、数度に渡る海外レコーディングなど、様々な出会いや貴重な経験を積み重ねていくうちに「大好きな音楽に携われて、その上、生活が成り立ってしまうとは、なんと贅沢で幸せな事か。感謝の気持ちとポジティブな姿勢を常に忘れず一層頑張らねば」との思いを新たにする。

1993(レコード会社のA&Rへ転身)

約6年間に渡る「THE PRIVATES」マネジャー生活にピリオドを打ち、新たなる環境と出会いを求めてメーカーディレクターへの転身をはかり、日本フォノグラム(後のマーキュリーME/現ユニバーサルミュージック)に入社。”炎のA&R” として筋肉少女帯、BUCK-TICK、ROUAGE、中山加奈子、DIAMANTES、本田美奈子、原田龍二、長谷川きよしなどを担当。

1998(ひっそりとワーナーに電撃移籍)

約6年間在籍したマーキュリーMEを退社、グリーンデイでお馴染みのワーナーミュージックジャパンにひっそりと電撃移籍。 以降、ワーナーのメジャー部門にてNICOTINE、HIGHWAY61、華原朋美、鈴木祥子、SPANOVA、高木完などのA&Rを担当しつつ、 ワーナー社内の新人育成レーベル「ワーナーインディーズ」にてFOOT STAMP、THE PAN、VooDoo Hawaiians、ゼンマイ虫を担当。

2000(ヘッドロックナイト始動)

10数年来の友人でもあるロフトプロジェクト社長・小林シゲ氏と日本のロックシーンに対する熱い想い、そして今後の展望など語り合っているうちに「ナミジンの思うようなメンツ集めてシリーズライブやってみない?きっと面白いよ。まだ陽の当たってない若いバンドたちにナミジンが陽を当ててあげてよ。シェルターとロフト好きに使ってくれたら」との熱い提案を受け、本業でもなければ経験もないイベントプロデュースに正直多少ビビりつつも、しかしせっかくの前向きな提案なので、PMA(肯定的精神姿勢)で取り組む決意をする。レーベルの社員ディレクターとしての立場上、念のために相談した当時の上司からも「いいじゃん、面白そうだから好きにやんなよ!」とあっさり後押しされ、様々な好条件に恵まれつつ、2000年11月、シェルターにて記念すべき第一回目のヘッドロックナイトを開催。

2002(WARPED TOUR に夢の帯同参戦)

NICOTINE がワーナーミュージック・ジャパンに移籍を果たし、彼等の担当A&Rとして、アメリカ大陸で開催されている世界最大のパンクロックイベント「VANS WARPED TOUR 2002」に帯同参戦。夢の舞台にスタッフとして参加でき、大いに刺激を受けまくる。

2003(DJデビュー/クラブチッタ初進出/ヘッドロックのレーベル化)

1月、ヘッドロックナイト10回目を記念してクラブチッタに初進出。動員約1000人の大盛況。調子に乗ってこの日、パンクロックDJデビューを果たす。この日改めて、ヘッドロックのメインテーマ「ENJOY PUNK ROCK」の持つ意味の素晴らしさを再認識。そしていよいよ、念願だったヘッドロックのレーベル化に向けて始動。7月、HEADROCK records 旗揚げ第一弾として、夢のパンクロック・コンピレーションアルバム「パンクロック・バトルロイヤル」をメジャーリリース、そしてレーベル第一弾バンドとして「大和」をインディー流通にて同日リリース。更に8月には二度目のクラブチッタ進出を果たし、1000人を超える動員を記録。11月には下北沢SHELTERにて初の3デイズを開催。激動の一年を締めくくる。

2004(人生初のラジオパーソナリティー/18年間の会社員生活を辞めフリーに)

3月、3年振りに新宿ロフトでヘッドロックナイト開催、超満員ソールドアウト。ヘッドロックのコンピアルバム第二弾「パンクロック・バトルロイヤル2」を7月にリリース。沖縄初のパンクロック専門番組「PUNK ROCK RADIO」(FM沖縄) で人生初のラジオパーソナリティーに挑戦。2004年7月~2005年12月にかけて放送。8月には3度目となるクラブチッタ開催。8月末日、6年間勤務したワーナーを退社。18年間お世話になった音楽業界を離れフリーの身となる。11月には沖縄で初のヘッドロックナイト開催。年末にはヘッドロック初のDJイベントを恵比寿ミルクにて開催。大晦日のカウントダウンイベントを富士の裾野の屋外人工スキー場、スノータウンイエティとコラボ開催。

2005(洋楽コンピ実現/クラブチッタ初の完売)

MXPXのJAPAN TOURでDJを務めるなど、「パンクロックDJ界のパーティー野郎」として、DJブースに入る機会が飛躍的に増える。6月、初の映像作品「ヘッドロックナイトDVD」リリース。9月にはヘッドロックのコンピシリーズ第3弾「パンクロック・バトルロイヤル3」と同時発売で、ヘッドロック初となる洋楽コンピレーション「パンクロック・バトルロイヤル INTERNATIONAL」をリリース。SUM 41、MXPX、weezer、blink-182、NEW FOUND GLORY、SUBLIMEなどそうそうたるメンツを収録。10月、5度目のクラブチッタ開催(ヘッドロック初のクラブチッタSOLD OUT!)。11月には2度目の沖縄開催。

2006(バンド結成/メジャーリリース/ヘッドロック初のツアー開催/史上初のDJワンマンライブ/ロンナイに初登場)

IN-HIのSHIMO-Zと元STANCE PUNKSの小菅淳と三人でカバーパンクバンド「NUM42」結成。バンド名の由来は「ナミジンが42才で結成」したから。同年3月よりライブ活動開始。アルバム「PUNK MASH UP!」でジェネオンより10月CDデビュー。9月にはヘッドロック初のツアーを名古屋、大阪、川崎、木更津にて行う。5月と11月にはロンドンナイトにDJとしてゲスト出演。10月には恵比寿みるくにて、ロックDJ史上初の「DJワンマンライブ」を敢行。

2007(クラブチッタにてDJワンマンライブ/TORNADOにサポート加入)

8月、NUM42セカンドアルバム「PUNK MASH UP 2」リリース。10月27日、ヘッドロック通算50回を記念して、聖地CLUB CITTA’にて人生2度目の DJワンマンライブを敢行。12月、サポートベーシストとしてTORNADOに加入。

2008(NUM42活動終了/NUMBER.42に改名/並木猫軍団の写真集&DVD発売)

3月、「パンクロック・バトルロイヤル5」と同時発売で、NUM42のオール日本語カバーアルバム「PUNK MASH UP JAPAN」をリリース。PANTAのロック史上に残る名曲「マーラーズ・パーラー」ではPANTA本人をゲストボーカルに迎えて話題となる。NUM42は3枚のアルバムをリリースしたのち、年内いっぱいで活動を封印、バンド名を「NUMBER.42」に改名してオリジナルバンドへの道を歩む決意をする。また、自身のブログ「並人日記~たまに猫日記~」で紹介している並木猫軍団、5匹の猫たちが話題となり、DVD付き写真集「ゲンキのサバトラ猫日記」を12/25に発売。 この作品では自らスチール&動画撮影を手掛け、カメラマンデビューを果たす。

2009(NUMBER.42活動開始/TORNADOサポート終了/ヘッドロックカフェ開店)

1/31新宿LOFTにてNUMBER.42活動開始。 8月、約2年間に渡るTORNADOのサポート終了。9月、念願だった人生初の飲食店、DJ-namijin’s bar「ヘッドロックカフェ」を高田馬場に開店。

2010(NUMBER.42アルバム発売/ヘッドロック10周年)

3月より1年間、NUM42の「線路は続くよどこまでも」がJR九州のTV-CMソングに起用され、4月よりNUMBER.42の「PUNK ROCK NEVER DIE」がテレビ朝日系「ワールドプロレスリング」の番組テーマ曲に起用される。NUMBER.42の1stアルバム「PUNK ROCK NEVER DIE」6月発売。11月にはヘッドロック10周年記念イベントをCLUB CITTA’にて開催。

2011(高田馬場で毎月開催)

高田馬場CLUB PHASEにて、ヘッドロックナイトを毎月レギュラー開催。

2012(BROTHER42結成)

1月、NUMBER.42セカンドアルバム「オトコタチノミチ」リリース。収録曲の「男達の道」が1月よりテレビ朝日系「ワールドプロレスリング」の番組テーマ曲に再び起用される。SETAGAYA BEACH DUB ALLSTARSのDONNI、DONT TURN AWAYのKATA、元NICOTINEのNAOKIと、NUM42、NUMBER.42に続く「第三の42プロジェクト」として、THE OFFSPRINGのカバーバンド「BROTHER42」結成、8月よりライブ活動開始。

2013(42プロジェクト更に増殖/NYWRFに初出演)

NUM42、NUMBER.42、BROTHER42に続き、CLUB No.6/元PETのYoKK-OiらとTHE ROOSTERSのカバーバンド「TEQUILA★42」を、 Hey Ho Let’s Go!/元SHEENA & THE ROCKETSの渡辺信之らとRAMONESのカバーバンド「RAMONA★42」を結成。大晦日には頭脳警察のPANTAとスペシャルユニット「PANTA & NUMBER.42」を結成して「NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVAL」に出演。

2014(loco hermanos始動/NYWRFに2年連続出演)

THE OFFSPRINGのカバーバンド、BROTHER42が「loco hermanos (ロコ・エルマーノ) 」に改名、オリジナルバンドとして活動開始。大晦日には「PANTA & NUMBER.42」としてニ度目の「NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVAL」に出演。

2015(ヘッドロックカフェ渋谷に移転/NYWRFに3年連続出演)

1月、NUMBER.42サードアルバム「パンクロック・ラブレター」リリース。収録曲の「立ち向かえ、男なら (男達の道~第ニ章~)」が1月よりテレビ朝日系「ワールドプロレスリング」の番組テーマ曲に三たび起用される。2月、ヘッドロックカフェが念願の渋谷移転を果たす。PANTA & NUMBER.42、NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVALに3年連続出演。

2016(loco hermanos アルバムリリース/NYWRFに4年連続出演)

8月、loco hermanosファーストアルバム「Mil Gracias」リリース。収録曲の「Wild & the young」が「ワールドプロレスリング」10月~11月の番組テーマ曲に起用される。PANTA & NUMBER.42、NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVALに4年連続出演。

2017(春の42☆フェスティバルこと、ナミジン試練の五番勝負敢行/脳梗塞から奇跡の復活)

4月2日(日) を「42の日」と制定し、渋谷ラママにて、NUMBER.42、BROTHER42、RAMONA★42、TEQUILA★42、そしてloco hermanosという「42ファミリー総出演」のスペシャルヘッドロックナイトを開催。「1日5ステージ」という自身初の快挙を達成。 8月、脳梗塞で倒れ緊急入院するも2カ月で退院。奇跡の復活を遂げる。

2018(クラブチッタで復帰戦)

3月31日、クラブチッタでプロレスとロックの合同興行を初主催。loco hermanosのベーシストとして退院後半年で復帰戦を行う。

2019(ボーカル復帰戦)

3月9日、渋谷ラママにて、NUMBER.42のベースボーカルとして復帰戦を行う。

2020(新バンド・暴動天国結成)

人生初のピンボーカルに挑戦するべく新バンド「暴動天国」結成。ベースは元・有頂天のChachamaru、ギターは元・SETAGAYA BEACH DUB ALLSTARSのToshizo、ドラムはFULL MONTYのHIRAI。8月23日、渋谷ラママにて初ライブを行う。

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